北アフリカ戦線では、エルヴィン・ロンメル将軍率いるドイツ・イタリアの枢軸軍が、この年の1月20日から再度攻勢を開始。6月21日、前年には占領できなかったトブルクを占領。同23日にはエジプトに侵入し、30日にはアレクサンドリア西方約100?のエル・アラメインに達した。しかし、補給の問題と燃料不足で進撃を停止する。10月23日から開始されたエル・アラメインの戦いでイギリス軍に敗北し、再び撤退を開始。11月13日、イギリス軍はトブルクを、同20日にはベンガジを奪回する。同盟国イタリア軍は終始頼りなく、事実上一国のみで戦うドイツ軍は、自らの攻勢の限界を見る事となる。さらに西方のアルジェリア、モロッコに11月8日、アメリカ軍が上陸し、東西から挟み撃ちに遭う形になった。
政権取得以後、ナチス・ドイツ政府によってドイツ国内、また開戦後の占領地では過酷な恐怖政治が行われていた。秘密国家警察ゲシュタポ、ナチス親衛隊が国民生活を監視し、反政府的言動を厳しく弾圧したので、一般国民がナチス政権に反対する事はあまりに危険であった。この年の1月20日、ベルリン郊外ヴァンゼーで、「ユダヤ人問題の最終的解決」について協議したヴァンぜー会議を行った。ワルシャワなどゲットーのユダヤ人住民に対し、この年の7月からアウシュヴィッツ=ビルケナウやトレブリンカ、ダッハウなどの強制収容所への集団移送が始まった。収容所に併設された軍需工場などで強制労働に従事させ、ガス室を使って大量殺戮を実行したとされる。大量殺戮は「ホロコースト」と呼ばれ、1945年にドイツが連合国に降伏する直前まで継続された。最終的に、ホロコーストによるユダヤ人(他にシンティ・ロマ人や同性愛者、精神障害者、政治犯など数万人を含めた)の死者は諸説あるが、数百万人に達すると言われている。
1月10日、スターリングラードを包囲したソ連軍は、総攻撃を開始、包囲されたドイツ第6軍は2月2日、10万近い捕虜を出し降伏。歴史的大敗を喫した。勢いに乗ったソ連軍はそのまま進撃し、2月8日クルスク、2月14日ロストフ、2月15日にはハリコフを奪回する。しかし、3月には、マンシュタイン元帥の作戦でソ連軍の前進を阻止し、同15日ハリコフを再度占領した。7月5日からのクルスクの戦いは、史上最大の戦車同士の戦闘となった。ドイツ軍はソ連軍の防衛線を突破できず、予備兵力の大半を使い果たし敗北。以後ドイツ軍は、東部戦線では二度と攻勢に廻ることは無く、ソ連軍は9月24日スモレンスクを占領。11月6日にはキエフを占領した。
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北アフリカ戦線では、西のアルジェリアに上陸したアメリカ軍と、東のリビアから進撃するイギリス軍によって、独伊枢軸軍はチュニジアのボン岬で包囲された。5月13日、ドイツ軍約10万、イタリア軍約15万は降伏し、北アフリカの戦いは連合軍の勝利に終わる。連合国軍はさらに7月10日、イタリア本土の前哨シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)を開始し、シチリア島内を侵攻。8月17日にはイタリア本土に面した海峡の街メッシナを占領した。